対話研究フォーラム「万博で生まれた1,633回のDialogue、その先へ」に参加しました

2026年10月26日、対話研究フォーラム「万博で生まれた1,633回のDialogue、その先へ」に参加しました。
大阪・関西万博の河瀨直美パビリオンで行われた「対話」の取り組みを振り返り、同志社大学商学部教授・瓜生原葉子先生の対話研究の知見をもとに、対話の意義や可能性について考えるイベントです。
私は万博を訪れることができませんでしたが、河瀨館で行われた対話の取り組みに関心を持ち、今回の参加を申し込みました。
対話する人、そして「目撃者」
河瀨館では、パビリオンを訪れた人の一人と対話者が、公開の場で対話を行っていました。何度も足を運んだ方も多くいたそうです。
そこで対話を聞く人たちは「目撃者」と呼ばれていました。
今回のフォーラムには、実際に対話をした人や目撃者も多く参加され、雨の降る中、500名を超える人が集まりました。
対話は、話す人と聞く人の間だけで完結するものではないのかもしれません。
その場に居合わせ、誰かの言葉に耳を傾けることも、何かを感じ、自分の見方を問い直すきっかけになる。そんな対話の広がりを感じました。
また、パレスチナとイスラエルの女性たちの取り組みも紹介されました。
「私たちが共に座り語り合えるなら、誰もが耳を傾けられるはず。」
このメッセージが、深く心に残っています。
対話がもたらす変化の循環

特に印象に残ったのは、瓜生原先生による対話の考察です。
物語共有、傾聴と応答、相互理解、視点取得と共感、自己理解、行為可能性、そして再び物語共有へ。
こうしたプロセスが循環し、その中心に対話があるという図に、夢中でペンを走らせました。
対話を通して相手を知るだけでなく、自分自身への理解が深まり、物事の見方が変わり、その先の行動にもつながっていく。
対話には、そうした循環を生み出す可能性があるのだと、改めて考えさせられました。
対話が生まれるには、「安心」という舞台装置が必要なのではないか
私は、企業の中に対話を根付かせるため、社内メディエーターを広める活動をしています。
その立場から、今回のフォーラムを通して改めて考えたことがあります。
それは、対話の意義を理解することと、実際に対話が生まれることの間には、何か必要なものがあるのではないか、ということです。
私は、それを「安心」という舞台装置ではないかと考えています。
河瀨館では、「自己紹介をしない」「敬語を使わない」といったルールが設けられていたそうです。こうしたルールが、普段の立場や関係性から少し離れ、言葉を交わすための環境づくりに役立っていたのかもしれません。
今回のフォーラムでも、最初に手を挙げたのは一人でした。その方と河瀨監督との公開対話を見聞きした後、次々と手が挙がっていきました。
その様子を見ながら、「ここで話してもいいんだ」という安心感が、次の人の一歩を支えたのではないかと感じました。
もちろん、これは今回の場を通して私が抱いた仮説です。
けれども、対話をしたいと思うことと、実際に声を上げられることの間には、個人の意欲だけでは埋められない何かがある。
そのことを考える大切な機会になりました。
対話を、一時的な体験から組織の仕組みへ

職場でも、対話の大切さを理解している人は少なくありません。
それでも、役職や立場、これまでの関係性、発言した後に起こることへの不安などによって、言いたいことを言えなかったり、相談したくても相談できなかったりすることがあります。
だからこそ、個人のコミュニケーション能力だけに頼るのではなく、安心して話せる環境や、対話を支える仕組みを組織の中につくることが大切なのではないでしょうか。
私が社内メディエーターの普及を目指すのも、対話が必要な場面で、対話が可能になる条件を支える人と仕組みを、企業の中に根付かせたいからです。
今回のフォーラムは、対話の意義について学ぶと同時に、対話が生まれるための環境をどうつくるか、という自分自身の問いを深める機会になりました。
貴重な機会をつくってくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
これからも研究から学び、現場での実践を重ねながら、対話可能性を支える仕組みについて考え続けていきたいと思います。

