プロフィール

竹内陽子【医療メディエーター】

生まれも育ちも大阪市。ヒョウ柄は着てないけれど、チョコレートはコミュニケーションツール。
よく笑いよくしゃべる根っからの大阪のおばちゃんです。
美味しいお酒とお料理を頂くのが至福の時間ですが、お腹で育ちすぎる脂肪が目下の悩みの種。

子育てをしながら、都合5つの病院で、内視鏡センタークラークなどの医事課業務から、
総務・人事・経営企画等の管理事務及び管理職を経験しました。
なかでも、サービス担当課長として『総合相談窓口』を経験したときに
患者さんと医療者間の「思い、感じ方のすれ違い」を幾度となく経験し
患者さんと医療者を繋ぐ存在が必要だと強く感じたことが
医療メディエーターとしての活動を決意したきっかけになっています。

医療事故や医療紛争という大事には至っていなくても、
医療者と患者さんの間には『疑心暗鬼』が生まれる場面が起こっています。
相談窓口では、あと一言…あともう少しの情報があればお互いの不信感は消えるのに。
そう思うことが多々ありました。

患者さんが得れれる情報は限られています。
そして日常から突然切り離され混乱している中で、情報の処理も拙くなって当然です。
けれども、医療者は診療が日常なのです。
日常と非日常。お互いの温度感は違って当然です。

病院職員としての経験と学び、そして専業主婦、ワーキングマザー、父の看取り、介護…
個人としての様々な経験から「どちらの思いもわかる」私になりました。
その両者間の溝を少しでも埋め、必要のない『疑心暗鬼』の悩みを軽くする
そのお手伝いができれば…そんな思いが今に繋がっています。

いきなりメディエーションをと固く考えるのではなく
お医者さまに「どうすればきちんとお話できるのか」
話を伺うことで気持ちが整理され「気持ちが軽くなる」。
それだけでも意味のあることではないでしょうか。

主な取得資格

〇医療メディエーター
 ・2013年 医療対話推進者研修修了(主催:患者・家族と医療をつなぐNPO法人架け橋)
 ・2014年 医療対話推進者養成セミナー修了(主催:日本医療メディエーター協会JAHM)
 通常はどちらか一方の受講で構わないのですが、
  「架け橋」は医療事故の当事者(医療者、患者とも)の生のお話から学べるものが多く
  「JAHIM」ではメディエーションの技法を多く学ぶことができました。

〇病院経営管理士 〇クォリティマネージャー研修修了 〇第1種衛生管理者 〇医師事務作業補助者 〇社会福祉主事任用資格 〇介護福祉士  〇介護支援専門員

穏坐な人々 ONtheUMEDA で紹介されました

「対話で人々の心を照らしたい」メディエーターの私だからできること。

フリー医療メディエーター / 竹内 陽子

生い立ち

小さな頃は読書好きなおばあちゃん子でした

事業をしていた父母に代わり、祖母に育てられました。
保育園では居るかいないか分からないくらい、おとなしい子。
小学校の中学年ではいじめに遭い登校拒否。
当時は「いじめられる方が悪い」と言われ、教師や両親からも叱られ
本とテレビ(教育テレビが大好きでした)だけが友達で、祖父母には心配ばかりかけていました。
今の性格が急に目覚めたのは、小学校高学年のとき。
勉強(知識が増えること)が楽しくなり、成績が上がるにつれ友だちも増え
児童会役員に立候補するまでに積極的な子に変貌を遂げました。

会社経営の基礎を学ばせて頂いたOL時代

高校卒業後、一般企業(超有名大企業の子会社)でOLをしました。
子会社ではあっても親会社の営業部と同じフロアで、その一部としてお仕事をしていました。
違っているのは、規模が小さいゆえ社員数が圧倒的に少ないこと。
そのため、お仕事の上流から下流まで幅広く関わらせて頂きました。

直営店舗の経営会議資料を一手に引き受け、予算等の数値では店長さんたちと直に交渉し、
パンフレットやキャンペーンリーフレット等販売促進ツール制作では
大手広告代理店の方との会議に出席しアイデアを採用していただくことも。
さらに、職員研修のコーディネイトや講師までも務めて。
20歳そこそこの何もできない小娘が偉そうに…。失敗も数知れず。今思えば赤面ものです。
それでも「陽子ちゃん~」と多くの先輩方に可愛がって頂き、
大切に育てて頂いたと感謝が尽きません。

時代は男女雇用均等法黎明期。バブルも真っ盛りでした。
「女の子はクリスマスケーキ」(25以降は売れない)なんていま
女性活用の先駆けとして女子職員の教育に力を入れていた親会社の影響を受け
子会社でも同様の動きがありましたが、規模が小さいため、
その恩恵は殆ど私を含めた数名で独占させて頂きました。
定期的に(ほぼ毎週)経営に関する勉強会が開催され、それを即仕事に取り入れ
企業経営及び人材マネジメント(人事評価含)の基礎を実地で学ばせて頂きました

その後直営店舗に異動し、店舗で起こる事務仕事、総てを任せて頂くことになりました。
出産のために退職(当時はまだまだそんな時代でした)するまで約10年。
朝から夜遅くまで毎日が仕事…仕事。
とにかく忙しく、遊ぶ面ではバブルの恩恵を殆ど受けていないけれど
「何でもそう。やろうと思たら出来るやん」
この時期の経験が、以降の人生に大きく影響を与えてくれています。

専業主婦として3人の子育て

専業主婦として3人の子育て。PTA役員を歴任し、保育士介護福祉士資格取得。子どもの成長に合わせてマクドのおばちゃん、生命保険会社のコールセンター勤務を経て、訪問介護事業所でサービス提供責任者としてフルタイムでのお仕事復帰。ヘルパーさんの育成に悩み日本福祉大学(通信教育部)で医療福祉の基礎を学び念願の学士取得。論文指導を頂いた敬愛してやまない田原孝教授の「先ず医療を勉強しなさい」の教えから病院業界に飛び込みました。